ヒーリングとかセラピーとかそんな生優しいものではなく、必要なのはトラウマケアだった

もう長い間、家事をやろうとするものの体に力が入らないというか、体が動かないという状態が続いていました。いつも頭で思う事と、体の動きが一致しないんです。

その事に罪悪感もありつつ「どうせ物が多いから片付けてもたかが知れているからやる気が出ない」という開き直りと「私はなんてダメな人間なんだろう」と自分を責める気持ちとを行ったり来たりしていました。

でも、今日は天気も良くて気分も良かったので、比較的楽に掃除して洗濯して、溜まっていたアイロンがけをして…と少し身の回りを整える事ができました。

が、その時に気付いてしまったのです。

私が体を動かしたくなかったのは、動かすと嫌な事を思い出してしまうからだ…と。

自分で「感情を解放する方法」をさんざん紹介しておいて情けないのですが、気が緩むと感情の波に飲み込まれてしまう事はよくあります。そんな時は、プロのカウンセラーさんの力を借りるのも手だと思うんです。

トラウマは本当に根強い

アイロンをかけながら、昔よく聴いた曲を聴いてしまったのもいけなかったのかもしれません。

音楽は聴いていた当時の記憶を呼び起こす事が良くありますが、その時も詳細に感情を思い出してしまったのです。

ガチガチのしがらみから逃れられず、それでも身動きのできる範囲で希望を見出そうとしていたあの頃。思えば当時の私の心境に近い音楽は、唯一私の慰めだったように思います。

もっと激しく、もっと暗く…、行き場のない若い体に宿った憤り。あの音楽たちにどんなに助けられた事でしょうか。

そんな事を思って懐かしんでいたら、嫌な事もセットで色々蘇ってきました。もう忘れたと思っていたのに…。もう解消したと思っていたのに…。

ひとりは好きでも孤独は嫌い

私は、私の意思で人生を切り開きたいと願った代償として、両親に見捨てられたのです。

と言っても、もともと条件付きの愛情しかもらえませんでしたし、思春期に入る頃から一刻も早く家を出たかった私ですから別に育った環境に愛着はなく、むしろ嫌悪感しかありません。

彼らは自分の思惑通りに育たなかった私の事はもう好きではないようなのですが、私も全然両親の事を好きだと思えないです。それなのに、拒否されたという悲しみだけは体に残っているんですよね。

もともと私はひとりが好きで、ひとりでも楽しめるタイプです。でも、人というのはその人の中に誰かを思う気持ちがあるからこそ生きる活力も生まれるわけで、誰もいない私は言ってみれば抜け殻のようなものではないかと。

とはいえ、私も愛するパートナーがいるので一応心の支えはなくはないのですが、それでも時々「何のために生きてるんだろう?」と考えてしまいます。

私が何年も両親に会っていないと言うと大概の人は驚きます。

でも返ってくる言葉は「産んでくれた親でしょ?」とか「仲直りできると良いね」とかそんな感じで、優しい言葉の矢で私を突き刺して来る事が多いです。

親に捨てられた辛さを、経験していない人に分かるわけがありません。尊敬していたセラピストをしている人にそれを言われた時「ああ、私はこの人とも住む世界が違うんだ…」と寂しくなりました。

耐えきれなくて人の力を借りる

そんな空虚さが耐えられなくなって、先週からトラウマカウンセリングを受け始めています。

私は過去にも心療内科やしっかりとした資格を持ったカウンセラーさんのところで相談もした事がありますし、他にもヒーリングセッションやキネシオロジー、インナーチャイルドセラピーなどを受けつつ、自分でも勉強しながら問題点を探って来ました。

でも、カウンセリングは気が遠くなるほど解決に遠く感じましたし、ヒーリングやスピリチュアルをする人たちに違和感と不信感を覚える人もたくさんいたんですよね。それで最終的に辿り着いた答えは、本当に機能不全家族とは何かを知っている人でないと難しいという事です。

だから、最近また辛くなって来たので誰かに相談したいとは思っていても誰でも良いわけではなく、相談したい人が見付からなくて悶々として過ごしていました。

そんな時にたまたまネットで見付けたトラウマケアの専門家を発見し、読めば読むほどこれは私の事だと思いすぐにカウンセリング予約しました。Zoom で自宅からカウンセリングを受けれるようになったなんて、便利な世の中になったものです。

1度目のカウンセリングは、ほぼ私が話をしている状態でしたが、自分の心情を正直に話していると久しぶりに涙がポロポロと溢れ、ああ、私は気付かなかったけど相当なストレスが溜まっていたんだなあ…と思いました。

終わった後はしばらく放心状態。でもそれでおそらく脳が情報整理してたんだと思います。

だからこそ、今日家事をしながら “体を動かしたくなかったのは、動かすと嫌な事を思い出してしまうからだ“ と気付けたのだと。

パートナーの愛情はあるのに…

アイロンをかけながら両親に見捨てられて悲しいという感情を思い出した瞬間、大粒の涙が溢れてきました。

パートナーに寂しいと伝え慰めてもらい、彼の愛情は十分に感じましたし、彼は仕事が忙しくて私にあまり構ってなかったのが原因だと思っていたようですが、そうじゃありません。

私は彼の愛では埋められない何かが欲しいみたいで、遠い遠い過去に置き忘れてきた私の満たされない気持ちを見ていたのかもしれません。

今更、別に両親の愛が欲しいとは思いませんが、一体私は何を求めているのでしょう?

そして、明日は2回目のカウンセリングを受けます。

カウンセラーさんはあくまでもクライアントの手助けをするというポジションであって、トラウマから立ち直るのは自分自身というのは分かっていても「今度こそはもっとマシな自分になれるかもしれない」と期待してしまうんですよね。

おわりに

小さい頃に受けた傷を癒すという作業は本当に地道で、解消されたと思ってもひょっこりまた顔を出してくるものです。

正直言うと、小学生の頃からこの苦しみは何だろう?とずっと取り組んできたので、ここ数年はいい加減飽きてきてしまって、もうウンザリしてました。

でも、やっぱりもう少し幸せになりたい、そう思うので、またしばらく取り組んでいきたいと思います。